巷ではいろんな背景で事故や事件が絶え間なく起こっている。

ほとんど目にするのが痛ましいものばかりだ。

パクったと言ってガソリンをまくやつ。

ムカついたと言って傘で相手の目を突くやつ。

何十歳も年下の我が子を虐待する親。

親を殺す息子や娘。

いや〜参った。とか言いながらボクも何かあるとすぐに文章にする。

人には多かれ少なかれ、ストレスを発散する何かの方法を持っているものだ。文章を書くか人を刺すか?もしかするとその程度の差かもしれないのだ。

でもストレスを読書に変えたり、旅行やグルメに変えたり、執筆したりに変えるのと、他人様に傷を負わせ、シニアたらしめるというのは、全く違うというのは、認めたくもある。

それは自己責任で片付けるには、大雑把である。

本人、当事者にとっては自己責任で、法に照らし合わせ処分されればいいし、世間の悪口雑言を浴びても仕方ないかもしれないが、関係ない人たちにとっては、それを社会の責任に置き換えて、社会をより良くする方向に働くことを念頭に置かないとやるせない。

ボクらがなぜ子どもの教育や舞台を作ったりして芸術活動をしているのか?

そんなストレスをれ受け止めるための器を大きくするためだと思っている。

もう少し心が広かったら、人はそんな他人が傷ついたり悲しんだりするような行動をおこすだろうか。

もう少し広い知識と深い知恵が備わっていたら、もっと賢明な行動ができるのではないだろうか?

そんな人の心を広く深くするために芸術があったり、その基礎を教える教育があるのではないだろうか?

今は確実にそんな要素が少なくなっているから、個人も小さく狭くなってしまっているのではないか?

自由とか言いながら、全く自由を許せていない人々の住む社会。

この社会という背景は我々人間が変えていかなくてはいけないと思うのだが。

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