おはようございます❣️
昨日は国の施策での高校での音楽劇創作のお手伝いを来て来ました。
演劇って自己表現のもっともたるもので、演技をつけるのことは簡単なことで、もちろん、だからってつけられた演技を真似することはそんなに簡単ではないけど、つけられた人は、それを模倣するだけのものに終わってしまって、そこには自己表現の1%もないと僕は思っている。
だからギリギリだと思うところで、ヒントを出したたり、思い出させたりしながら、自分の中にある体験や知識を引っ張り出させたり、イメージできるように伝えることくらいしか、ボクはできないと思っている。
大人もそんなに簡単なものではない演技するということを、10代の子、感受性が最高値の人に押し付けるわけにはいかないと思ってるし、精一杯のその時の表現が最高だと思っている。
表現だから。
それをいいものを作るために、作られた演技で模倣させたものは、それはその役者の表現ではなく、ただの真似事で、そこには何もないような気もしている。
もちろん、真似ることから始まる習い事は世の中にはごまんとある。
その中の一つとして、演技を捉えている演劇家も沢山あるのだが、そこにボクは魅力を感じることはない。
監督の、演劇家の、大人の子どもを使ったマスターバージョンにしか見えなくて、すごく嫌なのだ。
気持ち悪い。
だから、自己表現として子どもが自分を表現して、なおかつ舞台として成立できないものかと試行錯誤もする。
人口の多いところで、オーディションをやって、表現が身についてる若者を集めてやれば、それなりの体裁の整った舞台はできるだろう。
でもそれでは意味がない。
ここでは。
ここでは表現することの大切さと、楽しさがわかってもらうことが基礎として、その技を積み上げていくモノが欲しいと思っている。
なかなか、できないのだが。
ということで、夜はSAGAパーフェクトシアターの練習。

子どもとは違う、そして表現するのとは違う、もう一段上の、自己表現をここでは学んでほしいのだが、歳をとればそれはそれで難しさもある。
今日は15時からストレッチ&軽ダンス教室、その後は261回目の音楽の時間だ。
世の中変えたいなぁ^_^
ということで、今日も共に頑張❣️
今日の言の葉
『自分のことは自分自身がいちばんよく知っているのですから、他人の意見をどの程度受け入れるか、あるいは受け入れないかを最終的に判断する主体は、自分自身なのです。運命に支配され、翻弄(ほんろう)されている人、くり返し運命のパターンにはまってしまう人、何度も同じような失敗をする人を観察してみると、まるで、他人の否定的想念という”きっかけ”が自分に迫ってくるのを待っているように見えます。』
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