「あんくんのぜんざい」のことを考えていて、あらためて思ったことがあります。
ぜんざいを食べに来る人は、ぜんざいを食べに来るんですよね。
当たり前の話です(笑)。
築100年を超える銭湯跡でやっているので、この場所からいろんな出会いや会話が生まれたら面白い。それは俺の中にはあります。
でも、それを前に出しすぎると、ぜんざいが何か別の目的のためにあるように見えてしまう。
それは少し違うなと思いました。
お客さんが楽しみにしているのは、まず、目の前の一杯です。
温かいぜんざいには、つきたての餅を焼いて添える。冷たいぜんざいには、作りたての白玉を合わせる。器は、武雄市山内町の遊遊窯。そして、お茶蔵さんのお茶を一緒にお出しする。
一つひとつに手間と時間をかけて、落ち着いて味わってもらう。
古い銭湯の番台やタイルを眺めながら食べると、普通のお店とは少し違う時間になるかもしれません。でも、それも何かを売り込むための演出ではなく、その人がぜんざいと一緒に過ごす時間の一部です。
話したい人とは話す。静かに過ごしたい人には、ゆっくりしてもらう。
置いてあるチラシを手に取る人もいるかもしれないし、何も見ずに「おいしかった」と帰る人もいる。それでいいんです。
考えてみれば、舞台も同じです。
作品の背景に、どんな願いや目的があっても、客席に座った人が受け取るのは、目の前の舞台です。こちらの思いを説明する前に、その時間そのものを楽しんでもらわなければ始まりません。
ぜんざいも、まずは一杯のぜんざいとして喜んでもらうこと。
餅の焼ける香りや白玉の食感、器を手にしたときの感じ、お茶を飲んでひと息つく時間。その一つひとつを丁寧にすることが、いちばん大事なんだと思います。
いろいろ考えて遠くを見ているうちに、目の前にあるものが見えにくくなることがあります。
だから時々、当たり前のところへ戻る。
ぜんざいは、ぜんざいとして、ちゃんとおいしく。
まずは、そこからです。

